先日、コロナ感染警戒レベルが4なら実施と方針が発表された飯田お練りまつりですが、参加団体の対応はまちまちのようです。
例年だと高森町内からも新田の虎舞や牛牧の義士踊りなどが参加していますが、牛牧の義士踊りは警戒レベルが3まで下がらないと参加を辞退すると発表しました。また警戒レベルが3に下がったとしても、参加形態は規模を縮小することも併せて発表されました。
義士踊りは四七士をモチーフにしているので稽古会場には47人の踊り手と何名かのお師匠が集まるので密が避けられません。また稽古期間も長く必要なため、現実的には難しいところがあります。
牛牧区の義士踊りは、江戸期に飯田荒町に滞在中の旅役者によって「忠臣蔵」の舞台が伝えられたと言われています。当時の牛牧では明治時代まで歌舞伎が盛んに行われており「赤穂浪士 忠臣蔵」は好んで上演される人気演目でした。
大正天皇の御即位慶祝(大正4年:下記写真)を機に、現在の踊りの基となる四十七士の踊りが実現し牛牧義士踊りが出来たのです。それ以来、戦前4回の飯田お練り祭りに出演し、戦争での中断がありましたが、昭和31年春のお練り祭りに見事復活して以来、今回(平成28年甲年)の飯田お練り祭りで連続11回(60年間)の奉納上演となります。
これまで、高森町内各行事や秋祭り等での上演は勿論のこと、信州博(1993年)や東京高輪泉岳寺で2回・赤穂大石神社三百年祭での奉納上演でも絶賛を浴び、平成18年高森町の登録文化財として指定され、全国にもその名を誇っています。