今さらだけど市田灯籠流し大煙火大会の感想

第102回

市田灯籠流し大煙火大会


今年の主催は高森町観光協会
2025年8月18日、高森町の恒例行事『市田灯籠流し大煙火大会』が開催されて、出砂原交差点から明神橋にかけてのエリアは大変な盛り上がりになりました。

だって大変なんだもん

年々変化する運営形態


見えにくい部分だけど
主催は観光協会。交通整理は安協のみなさんではなくイベント屋さんでしたね。ゴミの管理もイベント屋さん。出砂原の自治会が花火の運営を手放し、安協も交通整理から解放され、お客として楽しめる側にまわったんですね。一方で、商工会の関わり方は毎年大きくなっているようにも感じました。今回で102回目を数える”灯籠流し”、ここ数年は運営形態が目まぐるしく変わっています。
「市田灯籠流し大煙火大会」というお祭りは、地元の人たちの手によって長い間守られてきました。でも今後は、収穫祭も含めて地域のお祭りは旅の業者にお金を払って運営してもらうというスタイルが主流になっていくんですかね。「自分達のお祭り」「地元のお祭り」が、カタチだけ継続していく様子に寂しさを感じますが、避けられない変化なんだろーなー。

商工会エリア


地域が元気になることが一番大事
地元民の関わりが薄くなりつつある中で気を吐いているのが高森町商工会。お祭り広場は商工会商業部が企画するエリアです。いろんな種類のキッチンカーが集まって、椅子とテーブルも用意されているので、今年も大賑わいでした。落ち着いて座れる場所が用意されてるってありがたいですよね。この一角だけは「地元の人たちで作っているお祭り」感を強く感じられる場所になっています。

高森町商工会壮青年部が受け持つステージエリア。地域に元気がないと商売にも元気がでないということで、壮青年部のみなさんは地域の様々なイベントに積極的に関わっています。その意を汲んだ商工会の事務局長さんも出砂原の”中央通り”でビラ配り。お祭り広場への人の流れ作りに奮闘していました。

お祭り広場のステージに初出演の飯田女子高等学校チアリーディング部。アクロバティックな技も見ごたえありましたが、観客を巻き込んで会場全体を盛り上げるチアの力みたいなものがあって、これはなかなかお祭り向きだなって感じました。

県内外からちびっこスケーターが集結

特設スケボー会場


去年から登場している特設スケートボードパーク。去年は木造でしたが、今年は去年より多きな鉄骨のランプに進化していました。松川町出身のプロスケーター、松尾さんが見守るなか、大人から子供までが入り混じってのジャムセッションや、コンテストが開催されて観客の目を惹きつけていました。

松尾さんが神奈川から招待した小中学生や、北信からこのコンテストに参加するためにやってきた小学生のスケーターが披露するトリックはレベルが高くて見ごたえありましたよ。

この地域で、スケボーはまだマイナー感がありますが、飯田市には市営のパークや、吾妻町のキャサリントマーズ屋内スケートボード場があって、コツコツ練習を積める場所は案外あるんですよね。
カムイには狭いながらもスケボーコーナーがあるし、競技人口はまだ少ないですが、子どもたちがスケボーを始める環境としてはそこそこ整備されてきている感じはあります。

どの地区でも、地域活動を続ける組織の高齢化を主な理由として様々な行事が継続困難に面しています。そんな中、収穫祭や灯籠流し、カヌー大会と、商工会の存在感が強くなってきました。
お祭りを盛り上げる側の仕事は、お金で計算したら割に合わない作業です。そんな役目を心意気で引き受けてくれる商工会は、今後の町のイベントを実施する上で心強い存在です。
ところが、それはそれで商工会内部に大きなひずみを生んでいるようで、大きなイベントを続けていくことが本当に困難な時代になってきたんだと感じます。

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