【三浦喜久夫議員活動報告】夕映道路の南端、南大島川に計画中の橋は将来広域的に必要な橋になる

2024年5月5日

議会・議員活動報告2-11


三浦 喜久夫
新緑まぶしい花と緑の季節になりました。
町立・私立保育園と南北小・中学校の卒園卒業そして入園入学式、久々に来賓として出席させてもらい、これからの子ども達の門出を祝いましたそれぞれ式典で、子ども達に期待をかけそして夢が持てました。

令和6年度第1回定例会


3月4日開会~18日閉会
令和6年度予算76億7000万円⇒可決
昨年比3,000万円増額(0.4%増)過去最高の予算を全会一致で可決しました。主なものは、下市田保育園改修事業(4億3,000万)、町道Ⅰ-1号線下市田区側改良・城岸橋架け替えなど(2億9,700万)。
定例会3日目、追加議案で道路橋梁費の補正予算を可決
国費を過大に請求し、受け入れていたことから、過年度国庫補助金返還金として、514万1千円の補正予算が追加議案として上程されました。
令和3年度国庫補助金等市町村道事業(道路メンテナンス事業)において、県・道路管理課の完了検査で、江戸ケ沢5号橋修繕工事が交付決定前着手となっており、当該事業の補助対象として報告したことが指摘されました。
令和3年度交付決定額1億686万2千円の補助対象事業費に対し、事業費実績が約9,787万6千円と確定され、その差額の事業費約898万6千円に対する補助率57.2%の国費514万1千円を返還するというものです。

議会基本条例について


議会基本条例制定に向けキックオフ
まちづくり基本条例に、第11条(議会の責務)・第12条(議員の責務)が定められています。ここに掲げてある「開かれた議会運営」に向け、議会の組織・運営の方針と基本的ルールを新たに制定しようというものです。
5月1日全議員による特別委員会が発足、小委員会6名(木下・北沢・本島・齋藤・河合・三浦)が決まり、制定に向けスタートしました。
議会基本条例とは
議会基本条例は、議会の理念や果たすべき責務、執行部との関係性や住民参加の方法など、議会のあるべき姿を体系立てて定め、条例の形で住民に示し、議会活動の指針とするものです。
基本条例制定の意義
議会基本条例を制定する意義は(江藤俊昭氏「地方議会改革と議会基本条例」より)
閉鎖的な議会から住民に開かれ住民と歩む議会
質問・質疑だけの場から議員間討議を重視する議会
町長の追認機関でなく首長等と政策競争をする議会、という3つの原則を宣言することです。

夕映道路に橋の計画進行中


◇夕映道路の南先線、南大島川へ橋を架ける計画が進んでいます
令和4年4月から令和5年3月にかけて、飯田市道1-57北市場市田線の道路詳細設計及び橋梁詳細設計の施行に関する協定が締結され、飯田市が同事業の計画を進めてきました。令和6年1月25日、飯田市と合同でエスバード周辺道路事業説明会が開催されました。その後2回説明会が開かれています。
計画では、夕映え道路南端、湯が洞線から南大島川に橋梁がかけられ、エスバードの西側に道路が新設されます。飯田市の万才線とラウンドアバウト交差点でつなぐというもので、令和9年供用開始となる計画が公表されました。

説明会では、安全対策など多くの意見が出されました。また地元住民から、この事業に対し説明不足など町の進め方に意義が申し立てられ審議継続中です。

三浦議員

エスバードにかかる橋は、5年前に南信州広域連合から説明を受けた時、エスバード進入の橋でなく、広域的に利益のある橋にしてほしいと要望しました。
生活道路として必要ない橋のようですが、リニア時代を迎え、将来的には夕映え道路が下市田の幹線道路として、広域的に必要な「橋」になると思います。

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