タカート調査隊活動報告 前回の続き
【廃仏毀釈とは】
明治元年(慶応4年)明治新政府が神衹官を設置して、太政官発布で神仏分離令を発令し、勤王と佐幕の戦禍を治めたあとの思想統一の上で神道を推し進めた。やがて廃仏毀釈という暴力行為にまで発展して、多くの貴重な文化財が失われた。
高森町は、山吹地区に全国でも類を見ない国学四大神を祀る本学神社がありました。国学が盛んな地域でありながら、北・中信地区に比べ軽い被害だったといいます。追分から領法寺へ下る道のお地蔵様は首を切られるなどの被害がありましたが、領法・光明・隣せ政の3つのお寺は直接の被害がなかったそうです。瑠璃寺では、六地蔵様は倒されたり首を掻き切られたりしましたが、そこより上は仁王像がにらみをきかせ、狼藉ものを寄せ付けなかったそうです。
隊員:今の時代では考えられないようなことが起こっていたんですね。
住職:六地蔵様はお寺の参道に並んでいることが多いです。人々を守るために、いつでも、誰でもお参りできるようにつくられました。
隊長:ありがとうございました。

【出砂原の六地蔵】
隊長:消防第1分団1班の詰所前にあるのでいつも見ていたな。
隊員:1体に亀裂がありますね。
隊長:出砂原商店街通りに六地蔵様について看板が設置されているから見に行こう。
隊員:高森町の六地蔵様について書かれていますね。
隊長:ちょっと待て!町には4か所も六地蔵があるんだな。
隊員:本当だ!2か所だと思っていました。調査に来て良かったですね。
隊長:ボスも知らなかったことだから褒められるぞ。


次回MISSION26③ 「光専寺の六地蔵」
★TAKART 2021 JUL Vol.26より
一気読みしたい方は冊子を入手してください。町内のあちらこちらに置いてあります。